さて、今回コラムの執筆依頼をいただいて何を書こうか少し迷っていたのですが、趣味の一つである囲碁について、仕事に通じると思うところがあり、本コラムで書いてみようと思います。
元々、私が囲碁を始めたきっかけは、義父が私設の囲碁道場を開いていたことでした。妻との結婚の意思を伝えに実家に挨拶にいった際に、義父から結婚の条件として提示されたのが囲碁初段になることでした。門下生に義理の息子として紹介されるにあたって、道場主の面子をつぶしてはいけないと、その日から囲碁の修練がスタートします。
打ったことのある方は分かると思いますが、囲碁はルールが非常にシンプル(ほぼ、どこに打ってもよい)なため、初心者にとっては、次にどこに打つべきか方針が定まらず、迷った末に悪手を続けて上手(うわて)に大差で負けることがよくあります。
上手に対しては、ハンデとして置き石(自分の味方の石)が多くある状態からスタートする置き碁を行いますが、相手の石を攻めているつもりが、気づくと自分が追い詰められている・・。このあたりに、囲碁の難しさと面白さを感じるとともに、勝負の局面で、つい強気に深追いしすぎる自分の性格に気づくきっかけにもなったようにも思います。
師匠である義父によると、囲碁の強さを決めるのは、「布石・感覚・読み・手筋・攻め・守り」の6つの要素だそうですが、時々、これは仕事も同じだと思うことがあります。プロジェクトを首尾よく進めるためには、初期の段取り(布石)が重要であるとともに、その後どう展開するか多少の読みや、競合他社の動向や現在おかれた状況判断に基づく攻めと守り、等々。囲碁になぞらえて仕事を進めると、全体感を見失わないように思います。
一方で、関係者の思惑の違いや思いがけない状況変化などから、なかなか自分の思い通りに事が運ばないのも現実。特に、技術力や営業力など、多少自分の努力で磨ける要素よりも、関係者間の利害の調整やコミュニケーショントラブルなど、その他の要因に引っ張られるのが一番厄介です。
囲碁に、「傍目八目(おかめはちもく)」という用語がありますが、他人の打つ碁を横で見ていると、自分の力量以上(八目先まで見通せるほど)によく見えるという意味ですが、第三者のほうが、当事者より物事の是非や利害得失を正確に判断できることのたとえです。振返って自分の日々の言動を思いおこすと、勝負事に限らず、仕事や家庭のコミュニケーションにおいても、つい自分が優位に立とうと言い過ぎたり、あれもこれもと欲張った結果、却って得られるものが少なくなってしまったり・・・。同僚や自分の子どものやることを見ている時には、こうすればよいのにと客観的に判断できるのに、いざ自分事になると、感情や思い込みに引っ張られて上手くいかないことがあります。
そんな時、囲碁を打ってみると、今どのあたりに自分の課題がありそうか分かるような気がしています。過剰に強気や弱気になって攻めすぎたり守りすぎたりしていないか、局所に気をとられすぎていないか、味方の石と上手く連携できているか、相手にも一定の地をとらせる気持ちの余裕があるか、など。ゲームでありながら、囲碁は、仕事や日々のコミュニケーションに通じる側面が多くあるように感じます。
「碁打ちにボケなし」ともいわれており、囲碁は、右脳を刺激して、判断力の向上やストレス解消に効果があることも医学的に認められているようですので、今後も、楽しみながら続けていこうと思います。
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妻の実家にて |