コラム「入社の頃のお話」

コラム「入社の頃のお話」

2021/10/31
非営利活動法人 設備システム研究会
三戸


私が会社に入社したのは、昭和の最後に近い年、バブル景気の夜明け前です。 入社以来約32年に渡り空調設備の修理、メンテナンスを行う部門に所属していました。 私が入社したころの空調設備は、まだ水冷が主流であり、特に大型の機械では空冷と水冷の比率は感覚的に空冷3:水冷7位の印象です。
当時の事務所、会議室など大空間の空調設備
(例)水冷床置きパッケージ(冷房)+蒸気又は温水による暖房
まだマルチエアコン、モジュールチラーが存在せず、大型施設や、大型ビルなどは吸収式冷温水発生器、ターボ冷凍機、ボイラーなどの熱源機器によるセントラル空調でした。 空調のメンテナンスの仕事で、現場に連れていかれ、新人がまずやらされる仕事は冷却塔の掃除です。シーズンインとなれば冷却塔の清掃からバルブの切替え(当時は大口径でもゲートバルブであり軸が錆びているとバルブ開閉後、腕が上がらなくなります)、水張り、エア抜きなど空調設備の冷房運転準備を行いながら、身体で設備を覚えていきました。 当時はお客様の各施設に施設課が存在し、お客様の会社の誰よりも力がある長老の様な施設長が君臨しておりました。小僧の私はメンテナンスに行くたびに、怒られない様先輩の陰に隠れながら仕事をしていた記憶が有ります。
時代を感じる三菱重工のカタログ 1985年~1993年頃
私が入社した昭和の終わりから平成にかけて、空調機器が大きく様変わりしました。 D社、MD社、MJ社がこぞってマルチエアコンを市場に送り出し、ビル空調を大きく変換させました。今では当たり前のシステムですが、当時としては画期的な最新技術に思えました。しかしながら、十分な実機の検証がなされないまま市場に出てきたかと思うほど、機器のクレームがすさまじく、メーカーよりの是正対応依頼が山のように来ていました。 その頃のマルチエアコンは、従来の空冷エアコンよりは電子化が進んでいましたが、まだまだ室外機の冷媒配管や電装品が目で追える程度でしたので、初めて触る機器でもある程度修理、メンテナンスが可能でしたが、今の機器はとてもとても触ろうと思ない程、複雑化してしまいました。
昔の点検は、機器の点検蓋を開け、ゲージマニホールドで圧力、クランプメーターで電流値、接触温度計で温度を測定記録し、不具合があったときはデータロガーを後付けして運転状態の把握を行い、不具合箇所の推定を行うなど何かと手がかかりましたが、今ではリモコンからありとあらゆる情報が引き出せるのを見るにつけ、技術革新のスピードにただただ感心してしまいます。冷凍機なども昔の圧縮機と言えばレシプロの多気筒コンプレッサーで、定期的にオーバーホールが必要でした。車のエンジンのように6気筒、9気筒など様々な圧縮機があり、オーバーホールでは圧縮機をバラバラに分解し、ピストンのリングに至るまで、ありとあらゆる部品を交換していきます。水冷の機種は機器本体が空調機械室にある為、機械室がそのまま作業場となり、その場で圧縮機をバラバラに分解し、新しい部品で組み立てていきます。その作業は技術屋の仕事観が満載であり私の好きな作業でした。今ではレシプロの圧縮機はほぼなくなり、圧縮機に異常がある場合はアッセンブリーの交換となるので、現場で油まみれになる事も無くなりました。昔話を自慢する気はありませんが、すべて手作業でのメンテナンスであり、作業終了の充実感は今よりあったと思います(思い出は美化されますが)
レシプロの空調用冷凍機はフロンの関係で少数しか残っていないのでは?
リレーとマグネットのアナログな電装盤
時代が変わり、機械の進化とともに空調設備におけるメンテナンスの内容も大きく様変わりしましたが、唯一変わっていないのが業界の3Kに起因する人員不足でしょうか。 60の還暦を前にして、昔を振り返り懐かしさに少し感傷的になる今日この頃です。