コラム「人生、人、それぞれ」
2021/07/31
非営利活動法人 設備システム研究会
渡邉
若いときには絶対に無かった瞬間だった。60歳を過ぎた或る日、病院の受付を済ませ、待合を通り抜けて、中庭の椅子に座って、ぼんやりと辺りを眺めながら、ふと、自分の残された時間(余命)はどの位あるの?自分の人生って何だったかな?これからの自分の人生の楽しみは何?こんな思いが、頭を横切った。
今、一口に、人生100年と言われるが、その人生には、誰しも、折々の分岐点で、思い、悩み、苦しむことが数多くあると思う。この機会に『人生、人、それぞれ』と題して、自分が歩んできた足跡を辿って、振り返ってみることにした。
最初に、個人を知って頂く為に、少し、シス研との係わりを会社の仕事と絡めて記す。
1974年に入社。7年間の出張現場勤務の後、技術担当副社長直轄プロジェクトで技術資料:空調施工基準の編集に携わりながら、溢れている社内書類の見直し、OA化を推進。
1989年、CAD室を立ち上げ、室長に就任。でも、前途は厳しかった。「ドラフタ−を捨ててCADで施工図を書こう!」誰も理解者は居なかった。「PCで図面が書ける?」「何を言っている?」「そんなこと、できる筈がない!」「第一PCって何だ?」今思えば、こんな環境だった。
全ての事に共通する私の信条は、「目的は、明確に!」「何事も頑張らなくていい!」「とにかく、具体的にやる!」「一歩では必ず挫折する。必ず、二歩以上前へ!<立ち停まらず前へ進め!>」
以降30年に渡り、施工図CADの推進に携わっている。誰かと議論をするでもなく、社内を自由に動き回り、自由に仕事をしてきた。俗に言う窓際族的な立場だったのかな?
活動の場は社内に留まらず、1991年「ダクトCAD/CAM研究会」を発足後、ダクト製作の生産性向上、設備施工図のCAD化推進、「設備CADデータ交換仕様 BE-Bridge(ビーブリッジ)」の標準化に携わるなど設備工事業全体の生産性向上活動の一部に係わってきたと自負している。現在も、NPO法人「設備システム研究会」の副理事長を仰せつかり、BIMの普及・推進等に取り組む一方、リニューアル工事必携の道具、3D-Laser Scannerを導入して、点群データを設備CADに取り込むソフト:RebroLink開発等にも携わってきた。
現場大好き、情報は現場に在りで、今日も、明日もと、若人と共に、楽しく現場を駆け回っている。これも一つの人生。こんな人生があっても良いと思っている。
ここまでが、会社人間=サラリ−マン人生の話。<誰も認めない自己満足の世界。>
普通のサラリ−マンでは考えられないような不規則な勤務体制下で、会社人間であった自分は、妻、子供たちに迷惑をかけてきた。子供達は其々何とか独立した?相変わらず脛をかじられることも多いけれど、決して痛くなく心地良い。親子って面倒くささもあるが、不思議な関係だね。
ここから夫婦二人の生活が始まったわけだが、二人で一緒に楽しめる趣味は何だろうか?色々考えてみたが、二人とも何も無かった!ゴルフにチャレンジしてみたが、体力とか個人の練習・努力・こだわり、車の運転等々継続するに難しさが沢山あって、結果として、新品のクラブは埃を被ったまま放置してある。
改めて探しても、中々何も見つからなかった。
人生、何もできずに、ただ長生きするだけでは意味がない。健康体で、自分で動ける・歩ける、自分の手で、自分の口から食を楽しめる、恋愛感情を持ち続ける、等々が基本にあって、初めて人生を楽しめるのだと思う。
さて何を?
たまたま自分には田舎に実家があった。山あり、田んぼあり、畑あり。放置すれば、不思議なくらい、アッという間に荒れ果ててしまう。土地家屋の管理も兼ねて、土日・休日は里山生活をしようと、二人の考えが一致して、実行に移した。
初めての経験で、里山生活には、草刈り・耕作・野菜等の栽培、家の手入等々、作業は山ほどあった。どれをとっても、二人だけでは、体力的にも無理があり、老いつつある我々には、人力では不可能だった。
やむなく、トラクタ−・ユンボ<二人とも、運転講習を受けて免許を取得>・乗用タイプの草刈り機・手押しの草刈り機・手持ち・背負い方式の草刈り機と高価な機械を購入した
建物の修理:床の張替え・襖・障子網戸の張替え・屋根工事、作業場・休憩所等、全てDIY。私にとって、これらはとても楽しい作業だった。
農業については、全くの素人で、何をやっても、上手くいかなかった。
笑い話:近所の農家のおばあちゃんとの問答。
おばあちゃん『頑張ってるね!何をしてるの?』
私『大豆を蒔いてみました。』
おばあちゃん『そうかあ、でも少し遅かったなあ!』
暫くして、
おばあちゃん『今日は何やったの?』
私『大豆に肥料をやりました。』
おばあちゃん『そうかあ、でも、大豆に肥料はやらないんだ!やると実がならないよ!』
その通りだった。早く教えて欲しかったなあ!知識と経験、の不足を思い知った。
<買ったほうが安いよね>
そして想定を絶するまさかの野生の外敵<毛虫・野鳥・鹿・猪 等々>天候不順にも、ずっとずっと、悩まされている。
農家の先輩達の辛抱強さと、知恵の凄さ、人生観を学んだような気がした。凄い!
結論:毎日きめ細かに面倒見が必要な野菜類は素人には無理だ!育てられないーっ!
方針変更:難しさは何にでも必ず在るが、収穫の楽しみに魅かれて、果樹栽培を目指すことにした。10年はかかるなあ?きっと苦労の連続で大変だろうと思い悩みながら、
ブル−ベリ−栽培に取り組むことにした。
趣味の段階は、鉢植え5〜8鉢。畑の草刈りを考慮しながら、80本、200本と追加植樹。際限なく増え続けていつの間にか今では300本越え。
12月から2月の寒風の中、大きな穴を掘り、鼻水垂らしながら、水でピ−トモス(酸性で水捌けが良い)を溶いて、植え付け。根付いてからの、寒風の中の剪定作業も辛い。
3月〜5月は施肥、6月〜9月には炎天下で、熱中症と闘いながら草刈りと摘み取り作業。何度も毛虫にやられて病院通い。10月11月は、防鳥ネットの手入れ。と、1年中限りなく忙しい。いつの間にか、土日と祝祭日で熟せる限界を超えていた。何時になっても、道楽の域を抜けきれないなあ。
季節外れの大雪で防鳥ネットを潰されたり、台風・竜巻で飛ばされたり、何度も挫折感を味わった。お前は何をやっている?と、自問自答を繰り返しながら、何とか立ち直って乗り切ってきた。自分ながら、関心、関心!
お陰様で、今では、生産者として、全国の支援者とコミュニケ−ションが取れるようになった
野菜やダイコン生産ができたとしても味わえない楽しいつながり<人間ネットワーク>ができてきた。収穫の喜びは皆で分かち合えるが、裏作業の、毎年の毎回の草刈り他の労働は、苦労の連続で、そこに楽しみなど無い。このままでは継続していくことが難しい・・・できないと思い、再度、妻との共通の趣味・楽しみを探しあい、結果:乗馬を始めた。昔からの夢のまた夢だった事が実現できた!
最近、海外旅行に行くときには、必ず、牧場に行って、乗馬を楽しむ。<外乗に出る:馬を連れてピクニックに行く。>ことを計画に入れている。ここには、国内では絶対に味わえない別世界がある。
写真はNZ南島の海岸ピクニック。<初:海岸砂浜乗馬>
乗馬倶楽部に所属して、最初は障害飛越も少しやったが、危険を伴うので、今は馬場馬術に絞っている。馬場馬術は年齢問わず・男女平等なので、元気な限り、ずっと継続できる。他のメンバ−(奥様達)との間で、『80歳までやるよ!』こんな会話が飛び交っている。
馬との接触は、我々の心を癒してくれる。とっても可愛い!毎回、行く度に、『待っていたよ!』と言わんばかりに甘えてくる。喜びを全身でぶっつけてくる。遊びで甘える時の力も凄い。頭で押されると私でも吹っ飛ぶので、常に油断は禁物である。練習馬は大部分がサラブレットで、走るために生きてきたといってよい。馬体もおおきく、体重は600kg以上、踏まれれば骨折するし、万が一蹴られれば命の取りになる。妻は何度か落馬をしたので少し恐怖心がある。全てのスポ−ツで言える事、それは恐怖心=上達を妨げる要因になる。諸々の会話の中から、いつしか、妻用に、道産子の血が混じった中型の馬が青森から届いてしまい、自馬を持つことになってしまった。(私に万が一のことが有った時の為に、妻へのプレゼントでもある。)2歳の仔馬<まだ何もわからない赤ちゃん>を入手した今、二人に慣れるように、日々調教中。練習の時以外には、手や顔をなめたりして甘える。噛みつく馬はいるが、こんな馬初めてだ。大きいけれども、犬・猫みたいで、とっても可愛いい。今では、皆から愛されるクラブの人気者だ。
長々と記したが、共通して全てに言える事、それは、健康で、夫婦二人で、二人三脚であればこそ熟せる。どちらかが欠けても、何事もできなくなる。体力が続く限り、二人共に健康維持の為にも乗馬を続けていきたい。
こんな人生があっても良いのではないかと書いてみた。
皆さん、夫婦二人の共通の趣味、早めに見つけてくださいね。